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クチ約束

2010.05.01 *Sat*
なんとか勢いで完成させました……。明日(というか今日)も朝から用事あんだけどなぁ。
さっそく上げたいと思います。


『クチ約束』

桜の木々がその色を淡い薄桃色から鮮かな緑色へとほぼ移り変え終わった、そんな四月の下旬。
新入生歓迎ライブから始まって、部室の整理や五十万円事件、そしてトンちゃんとの出会いなど、慌ただしく始まった私達の新しい年度もようやく落ち着きを見せてきた。
私、中野梓は今、暖かい光が差しこむ音楽室で一人ぼぅっとしている。早めにHRが終わったから、先輩たちが来るのを待っているのだった。
目の前ではトンちゃんが呑気そうにすいすいと泳いでいる。時折、水槽を指でこんこんと軽く小突くと反応してくれるのがおもしろい。
最初は変な顔だとしか思わなかったけど、飼ってみれば確かに可愛い。

「別に鼻にピーナッツを入れたくはならないけどね……」

この子を見た時に唯先輩が呟いていた言葉。まったく、おかしな人だ。
後輩ができない私を心配して、この子を飼おうと言いだしたのも唯先輩。あの人の中ではペットと後輩は同じものなんだろうか。……同じなのかも。
私ははぁ、と小さく息を吐いた。
本当に、おかしな人。
でも、もっとおかしいのは。
そんなおかしな人のことをこんなにも好きになってしまった私なんだろう。
前はただ「だらしないなぁ」「もっとしっかりして下さいよ」なんて思っていただけだった。
何となく放っておけなかったから「後輩と先輩が逆じゃないですか」なんて思いながら、世話を焼いていただけだった。
それなのに。いや、だからこそ。
私は唯先輩に惹かれていった。ただ、だらしないだけじゃない、意外な一面を見るたびに、心が跳ねた。もっと唯先輩のことを知りたいって思った。
自分の目の届く範囲に居てほしい、とは前から思っていたけどその意味合いも変わってきた。前は単純に心配だから。でも、今は私が見ていたいから。見つめていたいから。
どうして、こんなことになっちゃったんだろう。
どうして、恋なんてしちゃったんだろう。
叶うことはない、不毛な恋。結ばれることはない、悲しい恋。ただ、私を苦しめるだけの恋。

「なんていうのは、ちょっと自己陶酔が過ぎるかな」

自分をまるで悲劇の恋物語の主人公のように見立てていることに気がついて、苦笑する。
大丈夫。叶うことはないってのはわかってるんだから。ずっとは無理でも、今、隣に立っていられるだけでいい。別にそれほど悲しくはない。
……それほど悲しくない、だけで悲しくないわけじゃないんだけど。

「君は気楽そうでいいね」

トンちゃんに、唯先輩と同じものを感じて思わず愚痴ってしまう。もしかしたら、トンちゃんにだって私たちにはわからない悩みがあるのかもしれないけどね。
そんなことをしていると、部室の扉ががちゃりと開いた。その方向に振りかえると、

「あ~、あずにゃんがトンちゃんに浮気してる!」

そんなセリフとともに、誰ということもない、私の悩みの元凶さんこと平沢唯先輩が現れた。

「意味わかんないです。大体、浮気って誰に対する浮気ですか、誰に」
「え、私に、に決まってるじゃん」

……もう、この人は素でそんなこと言うから困る。わかってます。別に深い意味はないってことぐらい。だって唯先輩だもの。

「はいはい。あ、今からお水を入れ替えてあげようと思うんで手伝ってください」
「軽く流された! 水だけに!」
「上手いこと言ったつもりですか……」

それからすぐに澪先輩、律先輩、ムギ先輩も入ってきて全員でトンちゃんのお世話を始めたのだった。

  ◇

「いや~、一仕事の後の一杯はたまらないな」
「水槽の掃除しただけだろ。練習はこれからだぞ」
「え~、もう疲れた~」
「まったく、しっかりしろ」

ムギ先輩に用意してもらったお茶に口をつけつつ、ぐだっと机に突っ伏した律先輩。そんな律先輩を見て、やれやれとくたびれた息を吐きながら叱咤する澪先輩。
いつもの光景だけど、やっぱりこの二人はとてもお似合いだ。お互いがお互いを必要としていて、助け合っていて。
羨ましいな、と思う。これぐらい、お互いの中に深く入り込んでいける様な関係を私は誰かと築くことができるだろうか。
願わくば。その『誰か』が唯先輩だったら、なんて。高望みなのはわかってる。ふと、思っただけだ。
その唯先輩は、というと。

「うふふ、トンちゃん~♪ どう? 水槽、キレイになったでしょ~」

水槽にへばりついて、トンちゃんに話しかけていた。傍から見ると、完全に変な人だ。関わりたくない人№1だ。
というか。

「……なにが浮気ですか。自分の方がその子にべったりなくせに」
「どうしたの、梓ちゃん?」
「にゃっ!?」

ぽつりと零してみた言葉を拾われた。声の主はムギ先輩。
「どうしたの?」なんて疑問形で私に話しかけておきながらその笑顔には「全部わかってるわよ」と書いてある。なんだかばつが悪い。
ムギ先輩が近づいてきて、そっと耳うちしてくる。

「いいのかしら、唯ちゃん取られたままで」
「いや、取られたって……。別にそんな」
「早く素直になって、唯ちゃん引きとどめとかないと。後悔することになるかもしれないわよ?」
「へ、それってどういう……?」
「ふふふ。ところで、梓ちゃん。水槽掃除に手間取っちゃってもう時間も少ないんだけど、練習しなくていいの?」
「え、あ、そ、そうです! 練習ですよ! 唯先輩、練習しますよ」

なんというか。まぁ確信犯なのだろうけど、ムギ先輩のおかげで唯先輩をトンちゃんから引きはがす口実ができた。
唯先輩の腕をひっつかんで引っ張ってみる、が、先輩はびくともしない。

「ええ、もっとトンちゃん眺めてたい!」
「もう、私たちは亀飼育部じゃないんですよ。本業を忘れないで下さい!」
「はっ! そうだ!」

唯先輩は水槽の壁にくっつけていた顔をばっとあげた。よかった、さすがに唯先輩だってギタリストのはしくれだ。練習は大切だってわかって――

「トンちゃんに夢中でムギちゃんのケーキを食べてない!」

なかった。どうやら唯先輩の中では亀>ティータイム>練習のようだ。どんな部活ですか。いやまぁ、バンド名は放課後ティータイムだけれども。

「いやほんと、いい加減に練習……って、唯先輩、そのポケットに突っ込んでる紙、何ですか?」

ふと、ポケットからはみ出したピンク色の紙が目についた。紙、というか封筒のような感じだけど。

「え? ああ、これ? これはね」

唯先輩は『それ』をポケットから抜き取った。やっぱり封筒だ。でも、それは単に封筒と呼ぶにはあまりにも綺麗で、可愛らしくて。
封をする所にはハート型のシールなんかが貼られている。誰が見たって一目瞭然。それは、紛れもなく。

「らぶれたー、だって」

  ◇

それは今日の朝のこと。上履きに履き替えるために、靴箱を開いた唯先輩は手紙を見つけた。
差出人は今年入学した新入生。
そっちは見せてもらったが内容は割と普通なファンレターだった。
そこには去年の学際ライブを見て、私達の、というかギターボーカルの唯先輩のファンになったこと。去年の末のライブも見にきていたこと。
そして、少しでも唯先輩に近付くために桜ケ丘高校に入学したということ。
軽音部に入らなかったのは、あまりにも強く結束している私達を見て、間に入っていく自信がなかったから、そもそも自分で演奏することには興味がなかったからだということも書かれていた。
それでも、軽音部に入ることは諦めても、唯先輩のことは諦められなかったようで。
その子は手紙の最後にこう書き足した。
『会いたいです。今日のお昼休み、屋上で待っています』

「それで、お昼休みに行ったんだけど、そしたらこれをくれたんだ」

これ、と言ったところで唯先輩は手に持つ封筒、ラブレターを私に見せる。ラブレターの方の中身は見せてはくれなかった。恥ずかしいらしい。この唯先輩を恥ずかしがらせるなんて、一体どんな歯の浮くようなことが書かれているのやら。

「なんで唯なんだ! 私が部長だぞ! リーダーだぞ! 一番偉いんだぞぉぉ!」
「やっぱり唯ちゃんはギターボーカルで目立つものね」
「ちくしょー、ドラムやめてやるー!」
「……律のヤツ、後輩からラブレターもらいたいんだ。そっか……」

喚いている律先輩と若干へこんでいる澪先輩は無視。というか、そんなことに気を払っている余裕なんて今の私にはこれぽっちもなかったのだ。
唯先輩がラブレターをもらった。それだけのことで、こんなにもイライラしている。
当然か。私にとっては『それだけ』のことじゃないんだから。私の想い人を他にも想っている人がいるという事実は私を完全に動揺させていた。

「なんか、すごい嬉しそう、ですね」
「いや~、だってあれだけ真正面から褒められて『好きです』なんて言われちゃ、嬉しくないはずないよぉ。あ、聞いて聞いてっ。しかもその子すっごいちっちゃいんだ。もう、可愛くてさー」

イライラ。
ちっちゃい、可愛いだって。それは私に抱きつくときに言ってる言葉。そうですか、ちっちゃければ何でもいいんですか。だったらミジンコでも愛でておけばいいじゃないですか。

「……それで、どうするんですか?」
「え? 何が?」
「要は告白されたわけでしょ。その返事はどうするんですかって聞いてるんですよ」
「あ、あずにゃん、何か目が怖いよ……」

イライラ。
相手の子も相手の子だ。去年のライブを見て一目惚れ、だなんて。唯先輩と話したことすらないのにラブレターを送るなんて。
良く言えば積極的なんだろうけど、それよりも軽薄というか、非常に軽い印象しか受けない。ファンという意味での好きとお付き合いしたいという意味での好きを履き違えているのじゃないだろうか。若しくは、俗に言う『恋に恋する』ってヤツか。
どちらにせよ、唯先輩のことをちゃんと知りもしないで大胆な、言ってしまえば盲目的な行動に出たものだ。

「ええと、さすがにこっちとしては始めましてなわけだし、その子のことを全然知らないのにお付き合いも何もないと思って、補習、じゃなくて、あれ補充? 補給? ううんと」

多分、保留って言いたいんだと思う。 

「まぁいいや。とりあえず、まだ返事はしてないよ。てか、その後でアドレス交換して、お友達からお願いしますって言われちゃった」

お友達って。仮にも唯先輩は三年生、最上級回生なのに。ふてぶてしいと思われても仕方がない言い草だ。唯先輩はそういうの気にしないだろうけれど。
まぁでも、唯先輩とその子が付き合うなんてことになるかどうか、と言えばそんなことにはならない気がする。
というか、想像できない。ないない。
自分の中でそう結論付けた。その時。

「よし、唯! その子と付き合うんだ!」
「はぁ!?」

さっきまでぎゃーぎゃー言っていた律先輩の突拍子もない発言に、私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

「いきなり何言ってるんだ?」

澪先輩が怪訝そうな顔で律先輩に訊く。いや、本当に、いきなり何を言ってるんだ、この人は。

「や、思ったんだけどさ。唯がその子と付き合って、上手いこといって軽音部に入部させるってのはどうよ? 名づけてラブラブカップル大作戦!」

イライラ。
何馬鹿なこと言ってるんですか。冗談だろうとは思うが無責任にもほどがある。とりあえず、一言諫言させてもらおう、

「そんなことする必要は――」
「おお! ないすあいであ、りっちゃん!」
「……は?」

と、思って発した私の言葉を遮ったのは唯先輩だった。……ないす、あいであ?
ナニヲイッテルンダロウ、コノヒト?

「だろ~? あ、ちなみにOKの返事するときはちゃんと入部届けの書類を持ってけよ? 口約束だけでは信用ならんからな。その場でサインさせて確保するのだ! 決して逃がしてはなら~ん!」

イライラ。

「りょ~かいであります、りっちゃん隊員!」

イライライライラ。

「よっしゃぁ、これで新入部員ゲットだぜ!」
「げっとだぜ~」

イライライライライライラ。

「おいおい……。お前ら――」
「ええと、りっちゃん、唯ちゃん? そろそろ止めておいたほうが――」

「これで後輩ができるね、あずにゃん!」

唯先輩の満面の笑みが私の方を向いた瞬間。
ぶちっと、私の中で何かが切れる音がした。

「…………ないで」
「へ? あずにゃ――」
「ふざけないで!」

気がついたときには、大声で叫んでいた。
全員がぽかんと口を開けて、唖然とした面持ちで私を見ていた。私の中の冷静な私が、落ち着けと声をかけてくる。
でも、熱くなった私はその声を無視して、碌に考えをまとめず喋り出す。

「何言ってるんですかっ! そんなめちゃくちゃな手段をとってまで軽音部の部員を増やす意味はないでしょう!? 私は音楽に何の興味もない人がこの部活に入るなんて絶対嫌ですからね!」

叫んでみても、胸の中のもやもやは一向に消えてくれる気配を見せない。それどころか、一層と濃さを増してゆく。

「大体ですね、その手紙をくれた子に失礼だとは思わないんですか!? その子が唯先輩にどんな感情を抱いているのかなんて知ったこっちゃないですけど、何にせよ唯先輩のことを考えてそんな手紙を書いたんでしょ。それをそんな冗談のネタに使うなんて――」
「お、落ち着け、梓」

澪先輩に両肩を掴まれて、私は我に返った。我に返りはしたが、やっぱり私の心の中はざわざわしていた。気持ち悪い。

「律、唯、ふざけ過ぎだ」

澪先輩が、いつにも増して真剣な声色で二人に言う。

「悪い……。調子乗った……」
「ごめん、あずにゃん……」

律先輩、唯先輩もしゅんとうな垂れる。気まずい沈黙。この音楽室には声を発することができる人が五人もいるというのに。
誰も、何も言わなかった。
私も何も言えなかった。いや、もう言いたくなかった。これ以上口を開いても、この気持ちはどうしようもない気がしたから。
結局、そのまま練習することなく、解散となった。

   ◇

窓を通して見える空は抜けるような青色。ぽかぽかの春の陽気。
そんな快晴の天候とは裏腹に、私の心の空模様は曇り空だった。
私は昨日と同じように部室でぼぅっとしていた。昨日と違うのは、私がここに居ても先輩たちが来ることはないということ。
さっき授業が終わった後に律先輩から『今日の部活は中止』というメールが送られてきたのだ。理由は律先輩に用事があるとかなんとか。
まぁ、嘘だろう。昨日の今日で、顔を合わせ辛いからに違いない。

「はぁ……」

静寂の音楽室。いつも賑やかに行われるティータイムも、演奏も、今日はない。
私は、やっぱり、昨日と同じように水槽を眺める。そこには昨日と変わらず呑気そうなトンちゃんの姿があった。

私は、自分が昨日言ったことを思い出す。

私が言ったことは間違いなく正しい。軽音部に音楽に興味がない人が入るのはおかしいと思うし、唯先輩と律先輩は相手の子のことも考えずにふざけ過ぎだったと思う。
でも、私の中に生まれたもやもやはそういうことではなかったんだ。
唯先輩が私の知らない誰かと親密になることを想像して、動揺した? いやいやだから、そもそも想像ができない。
だって、結局その子は普段の唯先輩、だらしなくてボケボケしてて、本当は音楽の知識なんてほとんどあやふやな唯先輩の姿を知らないのだ。
彼女が惚れたのはあくまで唯先輩ライブver.で、それは唯先輩が一番かっこよく、輝いている姿で。普段の唯先輩とのギャップがあり過ぎる。
別にどっちが本当の唯先輩だ、なんて議論をすることに意味がないことはわかってる。というか、そのどちらもが唯先輩で。
私はそんな全部を含めて、唯先輩のことを好きになったんだ。
でも、ライブの唯先輩だけを見て、あの人を好きになったという人が普段の先輩を見てどう思うか。
まぁ、普通は幻滅するんじゃないだろうか。その子が唯先輩に強く『憧れ』を抱いていればいるほど。
きっと、その子もいずれは唯先輩の実態を知って。自分が恋そのものに浮ついていただけだと気がついて。向こうの方から唯先輩に付き合ってほしい、なんてことは言わなくなる。
唯先輩はといえば、可愛い子だと言っていたし、すごく嬉しそうにしてはいたけれど、この人がその子に特別な感情を持っているとは思いにくい。
そもそも唯先輩が特定の誰かに特別な想いを寄せるというのが想像できないんだ。それは唯先輩に特別に想って欲しいと願っている私からすれば残念なことなのだけれど。
唯先輩は誰に対してでも好意を振りまく。軽々しく「みんな大好き!」と言う。「ずっといっしょにバンドしよう」と言う。
唯先輩はオモイ言葉を本当に、当たり前のように口にするのだった。
だから、その子と唯先輩が付き合うなんてことにはならないはずなんだ。

…………本当に、そうだろうか?

その新入生が、普段の唯先輩を見て幻滅するかどうかなんてわからないことじゃないのか? もしかしたら、もっと好きになるかもしれない。
恋に恋していたのが、いつの間にかきちんと唯先輩に恋するようにならないとも限らない。
そもそも、この理屈は完全に棚上げなんだ。
自分はどうだ。
恋、とまではいかなくても、先輩たちの演奏、唯先輩のギターに聞き惚れて、この軽音部に入部して。
そして、唯先輩本人に惚れていったんじゃないのか。
その子だってそうなっていくかもしれない。
もっと言えば。
私は唯先輩のことをどれだけ知っている?
確かにあの人が特定の誰かに特別な想いを寄せるというのは想像できない。ただ、あくまで私が想像できないだけで、実際はそんなことはないのかもしれない。
さっきムギ先輩に言われた言葉が頭を過ぎる。
『早く素直になって、唯ちゃん引きとどめとかないと。後悔することになるかもしれないわよ?』
そう言われても、どうすればいいのか。
私もちゃんと告白すればいいの?
……でも、怖い。私の想いは、やっぱり普通じゃないから。女の子が女の子に寄せる想いとしては、重すぎる。
軽々しく口にしては、いけない気がする。

「ああ、そっか」

そこまで考えて、気がついた。
私の中に生まれた、このもやもやした気持ちの正体。叫ばずにはいられなかった、その衝動の源。

「私、嫉妬してたんだ」

私だって唯先輩にラブレターを渡したい。
唯先輩に想いを伝えたい。
唯先輩に好きって言いたい。
でも、私の中の常識や倫理観というヤツが邪魔をする。だから、私は何もできない。
なのに、それなのに、それができた人がいるんだ。
そう、嫉妬だ。
自分は何もできないでいるのに、という嫉妬。
そして、もっと単純に唯先輩を取られたくないという嫉妬。

「はは、は」

乾いた笑いが込み上げてくる。
醜い嫉妬から、癇癪を起してあんな偽善的なことを捲し立てて。
唯先輩どころか、軽音部の先輩みんなに迷惑をかけた。
なんて滑稽なんだろう。

「……もう帰ろっかな」

気持ちを落ち着けるためにちょっと練習していこうと思ってたんだけど、そんな気分ではなくなってしまったし。
帰る前にトンちゃんにご飯をあげておこう、と思って私が立ち上がると。
背中に、人が入ってくる気配を感じた。その人は扉の辺りから動く様子がない。どうやら、私がいることに戸惑っているらしい。
……もう、何で来るんですか。私だって戸惑いますよ。

「今日は浮気がどうのとか言わないんですね」
「あれ、き、気づいてたんだ」

そりゃあ、あなたにはしょっちゅう後ろから抱きつかれてますし。何となくわかるんですよ、唯先輩。
私は振り向いて、その人、唯先輩を正面から見る。

「どうして、あずにゃん、部室にいるの?」
「いや別に理由はないですけど……。そういう唯先輩こそどうして?」
「えと、私もとくに理由はないんだけど」

とかいって、大方私と同じような考えだと思うけど。
唯先輩が黙る。私も黙る。普段なら唯先輩が一方的に喋り立ててきたり抱きついてきたりするから、私達二人の間でこんな沈黙が流れることはないのに。
ぎこちない空気。
それもこれも、私が嫉妬して余計なことを言ったせいだ。

「あのね」

私が自己嫌悪に陥っていると、唯先輩が沈黙を破った。

「今、ラブレターの子の所に行ってきたんだ」
「え? それってつまり、返事してきたってこと、ですか?」
「うん」
「そ、そうですか」

ごくり、と生唾を飲み込む。
聞きたい。何て返事したのか。でも、それを聞いて、もし『OKした』なんて言われたら私の心はどうなってしまうかわからない。何を言い出すか、わからない。
だから、怖くて聞けない。
ああ、駄目だ。何て憶病なんだ。唯先輩が絡むと、どうしても積極的になれない。素直になれない。

「断わったよ」

しかし、私の葛藤をまるで見通しているかのようにあっさりと唯先輩は言った。
断った? そっか、断ったんだ。
心の底からの安堵のため息が漏れた。
よかった。本当によかった。唯先輩が今すぐ見知らぬ誰かに取られてしまうということはないのか。
まだ、隣にいてもいいのか。

私は一歩一歩唯先輩の方へと近づいていく。

でも、このままではいつか本当に唯先輩は遠くに行ってしまう。私の手の届かないところに行ってしまう。

唯先輩の目の前まできた。

このままでいいの? 私。臆病の虫に取りつかれて、大切なものを失ってしまっていいの?
ううん、まだ手に入れてさえいない。手に入れるための努力もしていない。
そのくせ、唯先輩が遠くに行ってしまいそうになれば、こんなにも暗い気持ちに、嫌な気持ちになる。

「ねぇ、あずにゃん」
「なんですか?」
「あの、怒ってる?」

不安げな瞳。そこにはまだ私の姿が映っている。
まだ。まだ全然間に合う。

「昨日ね、あずにゃんに言われて反省したんだ。確かにふざけ過ぎてたよ。一生懸命あの手紙を書いて、私に告白してくれた子のことをちゃんと考えてあげてなかったし」

俯きがちに、反省の言葉を口にする唯先輩。
きっといっぱい考えたんだろうな。それで、いっぱい反省したんだと思う。心の優しい、暖かい人だから。

「反省したなら、それでいいです」

それより、本当の意味で反省しなきゃならないのは私の方だ。私が自分の気持ちに正直に動かないから、いけないんだ。
唯先輩を戸惑わせる結果になってしまったんだ。
もう唯先輩にこんな不安そうな表情はさせたくない。

「ねぇ、唯先輩」

もう、私自身こんな嫌な気持ちになりたくない。
軽く深呼吸をする。
唯先輩の瞳をじっと見つめる。

「どしたの、あずにゃ――」
「好きです」

言った。言い切った。
私の想いを端的に、簡潔に、かつ完全に、完璧に。
私にできる、精一杯の表現。
重い、想いを伝える言葉。
それなのに。
それなのに、唯先輩は。

「ほぇ? 急にどうしたの? 私もあずにゃんのこと好きだよ~?」

いつもと同じように蕩けるような笑顔で、いつもと同じように軽いノリでそんなことを言って、いつもと同じようにぎゅっと抱きついてくるのだ。
悲しいけれど、これが私と唯先輩の距離なんだ。
私の唯先輩への想いと、唯先輩の私への思いの違い。
胸が苦しい。

「違いますよ」

私は、ゆっくりと唯先輩の腕を引きはがす。
これから先のことは言う必要はない。言ってしまえば、もう今までの関係ではいられない。冷静にリスク計算をすれば、黙っているのが正解。
好きって言って、少しでも近づけたかな、なんて自己満足に浸っているのが一番。
でも、もう止まらなかった。止まれなかった。止まるつもりなんてなかった。
素直になろう。

「私の好きと唯先輩の好きは違います」
「へ、どういうこと?」
「私は、もっと唯先輩に近づきたいし、近づいてほしいです。もっと触れたいし、触れてほしいです」

言葉を選ぶ、なんて上品なこともしない。ただひたすら、心に浮かぶ唯先輩への想いを言葉にしてみる。

「ずっと、一緒に居て欲しいんです」

ずっとは無理でも今隣に立っていられるだけでいい、だなんて、なんと欺瞞に満ち溢れた言葉だろう。
そう。ずっと一緒に居てほしんだ。ずっと隣に立っていたいんだ。ずっと寄り添っていたいんだ。
大好きだから。

「なぁんだ、一瞬もしかして鍬と好きの違いかと思っちゃたよ」

口頭では何を言ってるんだかわかりにくい、唯先輩らしいボケをかましてから。

「私だってあずにゃんとずっと一緒に居たいよ」

そう言ってふにゃりと気の抜けた笑みを浮かべる。
その無邪気な笑顔が、優しい言葉が、暖かい眼差しが、痛い。
本当に、どうしてこの人はこんなにも簡単に『ずっと』だなんて言えるのだろうか。
口約束だからかな。
入部届けの話ではないが、口約束は破られる。反故にされる。だからこそ、契約書なるものがあるわけで。
口約束にだって効力はあるけど、形には残らない。文章にすれば形に残る。後で立証できる。……私には、今この場で唯先輩が口にした約束の存在を証明する自信は、ない。
唯先輩は信用に足りる人だけど、逆に唯先輩だからこそ信用できない。
この人は、勢いだけで言葉を発する人だから。

「……やっぱり、わかってないです」
「ほぇ?」

私は顔を俯ける。唯先輩の目を見ることができない。私達のオモイの差を埋めることはできないのだろうか。
視界が歪む。泣いてしまいそう。
ああ、もう自暴自棄だ。ヤケだ。

「近づいてほしいっていうのは、唯先輩が思っているよりずっと近くですよ? 触れてほしいっていうのは、唯先輩が思っているよりずっと深くですよ? ずっと一緒に居たいっていうのは唯先輩が思っているより、ずっと、ずっと――」

そう言って落としていた顔を上げると。
唇に、暖かさが降った。
何が起きたか、わからない。
近く、深い。
私の眼前ほぼゼロ距離に唯先輩の整った、可愛らしい顔があって。気がつけば肩を両手でしっかりと掴まれていて。
ようやく、私は今の状況を把握した。
キス、されている。
伝わる。
柔らかさが。
暖かさが。
気持ちが。
思いじゃない、想いが伝わってくる。
陳腐な表現だけど。その数秒は、何十分にも、何時間にも感じられた。

「ぷはっ」

唯先輩が離れた。しっかりと目と目が合う。まだ呆然自失の感が抜けきらない私を目の前に、ちょっと頬を赤らめながら唯先輩は言った。

「私だってあずにゃんとずっと一緒に居たいよ」

その言葉はさっきとまったく同じもの。字面だけじゃなく、込められた想いも同じ。そこで、やっと私は気がついた。
唯先輩の、想い。
本当に、本当に?
同じなの? 私が唯先輩に向けるこの想いを、唯先輩も私に向けてくれているの?
そんなことってあるのか。だって、唯先輩なのに。あの、誰に対しても好きを振りまく唯先輩なのに。
唯先輩も、特別な意味で私のことが好きなの?
目の前の笑顔はさっきと変わらない。
それが、明確な答えだった。

「わかってくれたかな?」

その言葉に首肯することしかできない。
何も言うことができない。

「……もう、あずにゃんはにぶちんさんなんだから。ずっと、ずっと好きだって言い続けてきたのに」

言われてみれば、そうだけど。でも、あんなに軽々しく言われちゃ、本気にできるわけないじゃないですか。
唯先輩にとっては、オモイ言葉は想い言葉ではあっても重い言葉ではなかったということなのか。
そんなの、あんまりだ。
ずっと悶々と思い悩んでいた私は何だったんだ。
もう一度、ぎゅっと抱きしめられる。ああ、あったかい。気持ちいい。
ああ、もう、なんか、全部どうでも――

「よくないですよ!」

思いだした。どうしても、有耶無耶にしておけないことが一つあったんだ。

「え、な、何、あずにゃん?」
「えっと、その唯先輩が私に、その、ま、前から好意を寄せてくれていたのはわかりましたけど。じゃあ何で告白されたときにすぐに断わってくれなかったんですか。私がどんな気持ちになってたか、わかります!?」
「あれ、もしかしてあずにゃんヤキモチ焼いてたの?」

唯先輩は意地悪気にそんなことを聞いてくる。うう、でも、素直になるって決めたんだし。

「そ、そうですよ。悪いですか!」
「おお、あずにゃんがデレてる」
「何ですか、人がせっかく素直になってるのに茶化さないで下さいよ」
「ごめんごめん。ええっとね、告白されたときにはすぐお断りしようと思ってたんだよ? でもちょっと、間が抜けた、じゃなくて、あれ? 日が差した、でもなくて」

多分、魔が差したって言いたいんだと思う。

「まぁいいや。とにかく、もし私が告白されたってあずにゃんが知ったらどうするかなぁって思っちゃったんだ。りっちゃんとのは、本当に悪ふざけだったと思うけど」

……何だそれ。まるで、こんな状況になったのは唯先輩の思い通りみたいじゃないか。
本当に、この人は。私がどれだけ悩んだかわかってるのだろうか。……わかってないんだろうなぁ。
私ははぁ、と小さく息を吐いた。

「馬鹿じゃないですか」
「うん、ごめんね」

私は唯先輩の肩に顔を埋める。いい匂い。思わずくらりときてしまう。

「でも、本当に馬鹿なのは私です」

まさか唯先輩に嫉妬を煽られることになるとは、思ってもみなかった。
どうやら、私は鈍感だったようだ。好意の言葉は今まで何度も聞いてきたというのに。唯先輩はいつも私に語りかけてくれていたのに。
私と唯先輩は同じ想いだったのに。
どうして、一人で『違う』って決めつけていたのだろう。

「大好きだよ、あずにゃん」
「私も、大好きです。唯先輩」

唯先輩と視線を合わせる。
どちらからともなく、互いの距離を再度縮める。ゆっくり、目を閉じる。
ああ。
口約束は信用ならなくても。
このクチ約束なら、信じられるかも。そんなことを、思った。




以上です。テーマは「梓に面倒くさい葛藤をさせる」。
めんどくさすぎたか……。もうちょっとシンプルにわかりやすくしたかったんですけど。
というか、展開も前のバレンタインSSと似たり寄ったりだし。
うぅむ。
まだまだ精進していきたい次第であります。

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松中 竜馬

Author:松中 竜馬
百合が大好きなしがない人間。
唯梓は至高。
趣味はスポーツ観戦・麻雀・小説書き。

ブログの内容は二次創作百合小説が中心となります。
なので、こう言うのも何ですが、そういうのが苦手な方は見ないことをおすすめします。

ジャンルはけいおん!がメイン 
カップリングは唯梓

感想、ネタ振り、唯梓への想い等、コメントを頂けると非常に嬉しいです。百合好きな方、唯梓好きな方は色々と語り合いましょう!

当ブログは、リンクフリーとさせていただきます。
コメント、拍手等でご報告いただければ、相互リンクさせていただきたいと思います。



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