◇
「今日は忙しかった~」
唯先輩はぐったりとソファにもたれかかる。
「そりゃそうですよ。いくら市内とはいえ、大学からこっちまではそこそこ距離があるんですし」
「そうだね。今さらながら下宿して正解だったと思うよ」
唯先輩は今日のために昨日の夜から帰省していたらしい。そして、朝に高校に来てから、それから大学に行って、そしてまた戻って来て。
今は、私の部屋にいる。
「……今日は、いい演奏が聴けたね」
「そう、ですね」
私もソファに腰掛けながら今日のことを思い返す。
演奏は、簡単とはいえない曲で、しかも練習時間は少なかっただろうに、ばっちりと決まっていた。
憂と純のツインボーカルも新鮮だったし、上手かったし、すごく息があっていた。
何より、気持ちが籠っていた。聴いていると、本当に嬉しくなってきた。
「みんなのこと、信じてよかったでしょ?」
「……はい」
微笑む唯先輩に、私もはにかんでみせる。
「あずにゃん、自分がいない軽音部を見て違和感なかったって言ってたでしょ」
「そうですね」
「でもね、違和感がなかったのはちゃんとそこにあずにゃんがいたからだよ」
「え?」
「だって、みんなあずにゃんのことを考えて、あずにゃんのために集まってた。だからみんなの心にはずっとあずにゃんがいたんじゃん」
……なるほど。ちょっと臭い気もするけど、でも、そうであったらいいと思う。
「あのね、あずにゃんはもっと人を信じてもいいと思うんだ」
「え、いや、結構信頼してますよ?」
今回は確かにちょっと疑心暗鬼になりかけたけど、ちゃんとみんなのことは信頼しているつもりなんだけど。
でも、唯先輩は腕組みをして「う~ん」と唸る。
「何て言うか、信頼、じゃなくて『信じる』だよ」
「『信じる』、ですか?」
どう違うのか、わかりにくい。まぁ、唯先輩らしいけど。
「卒業するちょっと前に、私が言ったこと覚えてる?」
真剣な表情で、唯先輩は私の目を見据える。
卒業するちょっと前ということは、私が別れ話を切りだしたとき、か。
「覚えてますよ」
あれは、唯先輩の部屋だった。
ちょっとずつ引っ越しの準備を進めていて、部屋の中は珍しく整頓されていた。
私は言った。
「別れましょう」と。
多分、そこで「もう好きじゃなくなったから」とか「やっぱり合わなかった」とか言えば話は変わっていたのだと思う。
でも、私はそう言わなかった。言えなかった。
それは私が何だかんだ言いながら心の内では「大好き」「別れたくない」「ずっと一緒にいたい」と思っていたからだろう。
だから、私は全部率直に話したのだ。
私と唯先輩の好きの違いや、これからのこと。
「私達の恋は、受け入れられないんです」
そして、私はそう言い張った。
その時だった。初めて、唯先輩の、本気で怒った顔を見たのは。
「何で、そんなこと言うの!」
顔を真っ赤にして、泣きじゃくりながら、眉を吊り上げて、せっかくの可愛い顔を台無しにして、唯先輩は叩きつけるように言った。
「何で、諦めちゃうの! 何で、勝手に決めつけちゃうの! 何で、信じないの! 何で、信じてくれないの! どうして!」
本当に、それはまさに激情というにふさわしい様子で。
その時私は何も言えなかった。
今、思う。
普通は諦めるに決まってるじゃないか。
普通は完全な相互理解なんてあり得ないんだから、決めつけるしかないじゃないか。信じられるわけないじゃないか。
そういう現実的で言いようによっては冷めた考えをする人間の方が多数派で、普通だと思う。
でも唯先輩は、普通じゃないからこそ唯先輩だ。
唯先輩の提案には度肝を抜かされた。だっていきなり「みんなに私達の関係を話そう」なんて言うのだから。
「それで、もしあずにゃんの言うとおり受け入れてもらえなかったりしたら、私も諦める。でも、私はみんなを信じてるから。それに」
ああ、あの時の唯先輩の目の色は、視線の強さは、伝わってきた想いは、今でも鮮明に思い出せる。一生忘れないと思う。
「私は、本気の本気で、あずにゃんのこと愛してるんだからね」
私は、その賭けに乗ることにした。
それから誰に話すかを決めて、結局律先輩、澪先輩、ムギ先輩、憂、純、さわ子先生に二人で話してみたのだ。
賭けは、唯先輩の勝ち。
結局、みんな受け入れてくれたのだ。
もちろんたまたまだ。たまたま、理解があるメンバーだっただけ。それにみんな私達と仲の良い人ばかりで、簡単に私達を否定できなかったというのもあるかもしれない。
やっぱり世間一般から見て、私達の恋がマイノリティであることには何の変わりもない。
でも、得意顔で「ほら、言ったとおりでしょ」なんて鼻高々に喜んでいる唯先輩を見ていると、そんなことどうでもいいかな、と少し思ったのだ。
正直に言えば、私の腹は唯先輩に「本気で好き」と言われた時点で決まっていたと言っていい。
もし、拒絶されても、受け入れられなくても、唯先輩といっしょにいよう、と。
何があっても、唯先輩の気持ちが踏みにじられたとしても、私が唯先輩を守ろう、と。
そんな決意、必要なかったけど。
唯先輩は、そういう星の元に生まれてるのかもしれない。
みんなに受け入れられて、みんなに好かれる。
だから、あんな風に自らも無邪気に人を信じられるんじゃないだろうか。
そんな人物に「愛してる」と言ってもらえるなんて、素晴らしい幸福なのかもしれない。
そんな人物に「愛してる」と言えるなんて、素晴らしい幸福なのかもしれない。
「人を信じるってのは、とても大事なことなんだよ、あずにゃん」
まったく、言ってくれるものだ。それがどれだけ難しく、時に恐ろしく、そしてとてつもなく尊いことであるのかも知らずに。
「……わかりました、もっと人を『信じて』みるようにします」
まぁでも。
そういう人間を目指さなきゃいけないのだ。
これからも唯先輩の隣に立ち続けたいのならば、私も、みんなから受け入れられて、みんなから好かれる、そんな人間にならなきゃいけないんだ。
「うむ、そうしなさい」
仰々しく唯先輩は頷く。
「それにしても、いっぱいもらったね」
と、すぐに視線は机の上にある様々なプレゼント類に向かう。ほんと、常に意識があっちこっち行く人だ。
プレゼント類、とは今日私がもらったものだ。
軽音部の面々は音楽のプレゼントとは別に、個別にも用意してくれていたのだ。それだけで六個。しかも、クラスメイトがくれたり、「前からファンでした!」みたいな子からもらったりしてたら結構な量になってしまった。
「……本当に、ありがたいですね、祝ってもらえるのは」
「あずにゃん、だからだよ」
「え?」
にこにことしながら唯先輩は言葉を続ける。
「あずにゃんは、きっと自分が思っている以上にみんなから好かれてるよ? あ、もちろん一番愛してるのは私だけど」
さらっと付け加えられた言葉に頬が熱を持つのを感じた
「だから、もっと自信持ちなよ」
「唯先輩に説教されるのって、何か嫌ですね」
「ええ! べ、別に説教してるわけじゃないよ?」
照れ隠しにちょっと素っ気ない態度をとってから、私は机の上の袋を一つ取る。
これは……憂のだ。確か、クッキーを焼いてくれたんだっけ。
可愛らしい袋からクッキーを一枚取り出して、口に含む。バターの味がとろけて、甘い。安定安心の美味しさだ。もう一枚取り出して、こっちは唯先輩に。
「はい」
「あーん」
「も~、はいはい」
口を開けてくるので、そこに放り込んでやる。唯先輩は「もうちょっと優しく……」と涙目。
「ん、おいし……はぁ、いいな、あずにゃん、色々もらえて~」
「後二週間もしたら、唯先輩ももらえるじゃないですか」
「そうだけどね」
十一月二十七日が、唯先輩の誕生日。
十一月は、私と、唯先輩が生まれた月。
私が唯先輩のことを好きでいられるのは私がこの世に生を受けたからだし、同じく唯先輩がこの世に生を受けたからだ。
十一月二十七日に唯先輩が生まれて、その一年後の十一月十一日に私が生まれて。
そんな素敵な『二人の生誕』の月を曖昧だの、はっきりしないだの、何を言っていたんだろうか、私は。
私が唯先輩を好きだということは何よりも確かなことなのに。
「唯先輩」
私は唯先輩に体を近づける。
「ん?」
唯先輩はなぁに? と甘い声で囁く。くすぐったくて、満たされて、気持ちいい。
愛しい人と触れ合うことは、本当に幸せなことだと、しみじみ思う。
生まれてきて良かったと、しみじみ思う。
この人を愛するために私は生まれてきたんだ。
「I was born to love you. です」
唯先輩は突然の私の発言に一瞬きょとんとして、でもすぐにふにゃっとした柔らかい満面の笑みを浮かべた。
「それ、誕生日を迎えた人に言われると、すごく重みがあるね」
「重いのは嫌ですか?」
「ううん、あずにゃんの想いが嫌なわけないよ」
嬉しいな、と言って唯先輩はぎゅっと私を抱きしめる。
ああ、温かい。私が今、世界で一番好きな温もり。私もぎゅっと抱きしめ返す。
二人きりだと、ちょっぴり積極的になれる私。
「あずにゃん、はっぴーばーすでぃ」
唯先輩はすっと私の手をとると、何かを握らせてきた。
「これ……」
「私からの誕生日プレゼントだよ」
それは、銀色のネックレス。小さな円形のプレートがついていて、そこには『Y&A』と刻まれていた。
何の略かなんて、訊く意味もない。
私はそれを首にかける。
「どうですか?」
「ん、似合ってる。よかった」
私達は微笑み合う。
「あずにゃん」
「何ですか?」
「I was born to love you,too.」
「……それ、もう一回唯先輩の誕生日の時に言ってもらえますか?」
「うん、言うよ。何度だって、いつだって」
私達の関係は、難しい。
きっと上手くいかないことだらけだし、きっと困難多き道だと思う。
そんなのはわかりきったことだから。
それでも、私は唯先輩を愛するために生まれてきたと声を大にして言おう。
あなたの愛が欲しいと声を大にして歌おう。
もうあなたの温もりなしじゃ、寂し過ぎて生きていけないから。
私の鼓動が私達の時間の一瞬一瞬を刻む。
あなたの鼓動が私達の時間の一瞬一瞬を刻む。
私もあなたも、きっとお互いを愛するために生まれてきたんだと、信じよう。
私と唯先輩はどちらからともなく近づいて、くちづけを交わした。
甘いバター味のとろけるようなキスだった。
一か月遅れ! 改めて、あずにゃんお誕生日おめでとう、でした!
結局テーマがしっかり定まらないまま書き切ったけど、とりあえずいちゃいちゃさせたからよし!
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